2011年8月14日日曜日

いつかの細長い物体の正体

以前にこちらのブログで軽くふれた謎の物体についてご説明します。
http://gammendub.blogspot.com/2011/02/blog-post_27.html
http://gammendub.blogspot.com/2011/03/blog-post.html

2011年6月4日土曜日

Hawaii_プロローグ(加筆)

ハワイ、行ったことありますか?

沖縄熱狂のパーティーレポート_day7

今朝は朝6:00に起床して、帰りの支度をするのでした。朝8:30のフェリーで那覇へ戻るのです。

沖縄熱狂のパーティーレポート_day6

おばあちゃんに写真を届けたわたしは、緊張の糸が途切れたため、ひとりで居酒屋うみぼうずに乗り込み、ジーマミ豆腐や島らっきょなどを堪能し、調子こんで泡盛(もちろん久米仙)をロックで1合流し込み、フラフラになりながら宿の向かいの老舗レゲエBARのSpiral Marketに突入し、ぶっといサウンドに身を委ねながらレッドアイを飲みつつ白猫ちゃん達と戯れているうちに、気がついたら次の日の朝でした。酩酊して宿に帰ってきたようで、どうやらスキューバに来られていた紳士に海中の映像を見せてもらっていたようです。

沖縄熱狂のパーティーレポート_day5

沖縄一人旅も後半戦に入ってまいりました。結論から申し上げますと、この日がこの旅のハイライトとなりました。

2011年5月18日水曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_day4

昨晩は夕方ホテルに戻り、7:15にゆいレールの県庁前で待ち合わせ、おもろまちまで行って、アベさんのお友達に教えてもらった老舗沖縄料理屋「うりずん」にて沖縄伝統のごちそうをいただきました。途中虫さんのお子様の具合が微妙になったため、アベさんとおもろまちの沖縄料理屋で二人きりになるという危険な状況に陥りましたが、お互い人見知りなりに頑張ってなんとか乗り切りました。そして、次の日の午後に変態巨乳ちゃんとカリスマ主婦はそれぞれ、熊本と東京へと帰ってゆくのでした。素敵なガイドをどうもありがとう!

2011年5月15日日曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_day3

沖縄上陸2日目にして早くも虫さんが来航して、にわかに盛り上がりを見せ始めたなんくるない千代の沖縄傷心旅行ですが、皆様の予想通りあの爆弾(パイオツが)までやって来てしまったのでっす!そうですアベさんでっす!

2011年5月11日水曜日

5.7 渋谷原発やめろデモ

5.7渋谷原発やめろデモに行ってまいりました。4.10高円寺に続いて2回目の参加でした。この日は敬愛するDJ HARVEYが出演するFreaks music festivalと同日でしたが、迷わずチケットを転売してデモへの参加を決定いたしました。理由は色々とありまして、もちろん原発には大反対なのれすが、やはりコバヤシステム+音出しクルーがシステム提供となれば行かない訳には行かないと!(寺内は提案書作成のため欠席。)

メンバーはかつてない布陣で、わたくし+ブッチ+佐藤ゴウくんの嫁の玲子+DJ PONY(5/3のイベントで交流を深めた、山梨県甲府市出身現在桜台在住の29歳男性)というものでした。ちなみに国森はこの日のために購入したGORE-TEXの高級な雨具に身を包み、スポーツ選手が着用するCW-Xという高額なタイツをはいて「NO NUKES」と書かれた自作プラカードを裸のまま持って電車に乗ってやってまいりました。ある意味では原発よりもはるかに危険です。

開催地が渋谷ということもあり、いたるところに警察官が並び、警察車両も大量に出動しており、さらに私服警官みたいなひともそこら中にいて、高円寺のデモは若干雰囲気が違いましたね。

小雨がぱらついておりましたが、デモが始まればそんなもんは関係ござーせん。今回も、クーラーボックスにビールなどを大量に仕込み、渋谷から原宿を練り歩きました。音出しクルーのDJ SacariさんもR246で爆音を鳴り響かせておりました。

終了後は阿佐ヶ谷の焼き鳥ショップ鳥Qにて、国森たっての希望で3人で反省会を開催しました。デモに参加をすることはいろいろなことを考えさせられます。不安や怒りや悲しみ、様々な感情が渦巻きながらもやはり最終的な結論は「やっぱり原発ダメ絶対。」なのでした。

次も行くです。
音出しクルーのコミネくん。

DJ PONY。お願いしてないのに勝手にヘルメットかぶってた。

渋谷区役所前。

雨が嫌で、軽く欠席しようとしてた人。

この出で立ちで西武新宿線に乗って登場。

表参道とR246の交差点。

ゾノ。

音響機器を調整するコバヤシステム。

2011年5月10日火曜日

大井ひとしのデジカメケース

34歳独身、大手玩具メーカー勤務。好きなブランドはバーバリー。趣味はスポーツ観戦。よく似ていると言われる人は、千の風もしくはIKKO。そんな過激な男、大井ひとしのデジカメケースはずばりこれだー!
クマちゃん。

2011年5月9日月曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_day2

二日目の朝は7:00に目が覚めました。旅先ではたいてい夜中に目が覚めてしまうものですが、ぐったりしていたのでよく眠れたようです。

8:00になったので勇気を振り絞って、2階のラウンジスペースに顔を出してみたところあんまー(宿のお母さん)が心温かく迎え入れてくれました。そしてインスタントのコーヒーを自分で淹れて、沖縄に来るのが初めてであることや、旅の行程などについて1時間半ほどお話をしました。 おかげで出発が遅れたぜ。

この日は沖縄県立博物館・美術館へ行きました。博物館で沖縄の歴史を少しでも研究しようと思ったのです。本当のところは、沖縄顔の菅原の謎を調べてみたかったのです。博物館はなかなかのボリュームで、歴史や自然について体系的に学ぶことができました。そして、港川人というのが沖縄顔のルーツなのではないかというところまで突き止めました。

お昼になったので、コバルト荘まで戻り、近くのだるま食堂でお昼ご飯を食べました。みそ汁定食を頼んだところ、巨大などんぶりに超具沢山なお味噌汁が大量に入ってました。お腹いっっぱい、でも500円。沖縄はご飯の値段が安いのですけど、量がすんごいの!

そしていよいよ約束の時間となりましたので、レンタカー(HONDAのFit)で那覇空港へと向かいました。鹿児島から爆弾が到着するのです、森(旧姓小島)アンナa.k.a虫さん愛娘を引き連れて登場です! わたくしが那覇に到着した際に、ふざけて「那覇来ちまえよ。」などと言ったところ本当に来たから焦りました。なんでこんなことになってしまったのだろうか。

虫さんを 後部座席、愛娘をベイビーシートに乗せて、ホテルロコアナハにチェックインして、その足で虫さんおすすめの浜辺の茶屋へと向かいました。さすがに東京中のカフェを知り尽くした虫さん、浜辺の茶屋はまさに砂浜に面した、comfortableなカフェでした。カフェにいるあいだわたしは心の中で「なんでこいつと沖縄のカフェでコーヒー飲んでるんだろう?」と呪文のように唱えていました。

日も暮れてきましたので那覇へと戻り、国際通りの適当な沖縄料理店で適当な沖縄料理をいただいて、早々にお互いの宿へと戻ってゆきました。

しかし、本当の爆弾はこの次の日にやって来るのでした。

つづく

沖縄県立博物館・美術館。沖縄県産の石灰岩を多用。




だるま食堂のみそ汁定食。

浜辺の茶屋。


浜辺の茶屋から見える風景。木製建具がええ感じ。






本当に来てしまった虫さん。勢いがはんぱない。

2011年5月1日日曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_day1

出発の朝、5:00に父が浜田山まで迎えに来てくれた。永福町から高速道路に乗り、羽田空港を目指しました。高速道路はがらがらに空いていましたが、まさかの父の超安全運転のため、到着が6:00ちょうどになってしまいました。飛行機は20分後に出発やないけーい!

SKY511便は40分遅れで羽田を出発し、10:30に那覇へ到着いたしました。初めての沖縄、しかも独り、さらに暑いので、僕はなんだか不安でした。しかしそこは持ち前の明るさでカバーして、ゆいレール(那覇市内を駆け巡るモノレール)で那覇空港から県庁前まで行きまして、宿泊先の創業40年の老舗民宿コバルト荘へと向かいました。

コバルト荘は静かな住宅街のなかに可愛らしく佇んでおり、ご夫妻が暖かく迎えて下さりました。そして、独り旅のわたしに宛てがわれた部屋はなぜか2DKでしたので、余計に寂しさが募りました。

ひと休みしてから、宿のあんまー(お母さん)と相談して、モノレールで首里城へと向かいました。ちなみにこの旅の行程は半分くらいあんまーに決めてもらいました。

首里城についてほとんど予習なしでやって参りましたが、沖縄って元々は独立した王国だったわけでして、ここに国王が住んでいたのだなと考えた瞬間にドキドキしてきて、僕の心は微妙に沖縄の虜に。首里城では、その建築様式を中心に観察をし、沖縄の伝統的な素材や工法について考えました。

首里城の後は、国王の墓であります玉陵(たまうどぅん)へ行きました。こちらは歴代の王様が葬られているお墓ですが、その大きさに圧倒されました。玉陵にはほとんど人がおらず、一人きりで佇んで青空を見ていたらなんだかエジプトに行ったときを思いだしてしまいました。どこの地域も王様のお墓に懸けるエネルギーは凄まじく、その永劫性には軽い目眩を覚えます。宿に帰ってタコスを食べながらそのようなことを考えながら沖縄初日の夜は更けてゆくのでした。まあオリオンビールは飲むよね。

そして翌日から、にわかにこの旅が熱狂の渦へと巻き込まれてゆくのです。

つづく
コバルト荘301号室、ここがおれの拠点じゃい。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

首里城、正殿。

国王が座っていた椅子。ハーマン=ミラー。

玉陵(たまうどぅん)

守礼門。お札に印刷されてるよ。

オリオンビール。

玉陵(たまうどぅん)
沖縄へご旅行の際はぜひコバルト荘へ。
ラブホテルにインするように首里城へと入ってゆく二人。

首里城スタンプラリー。

2011年4月28日木曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_プロローグ

これは東京在住のある成人男性と沖縄の離島で暮らすおばあちゃんとの、実際にあった奇跡のお話である。

月並みですが、皆様ハンカチのご用意を。

つづく

この写真の意味するものは。

2011年4月25日月曜日

帰京

夢のような沖縄から無事帰京いたしました。

沖縄の風と熱気を肌で感じ、性格まで明るくなっちゃった!

熱狂の沖縄パーティーレポートは随時アップしていく予定だす。

2011年4月12日火曜日

第二子生誕記念

友人のヒデジロウa.k.a北極の第二子が無事産まれてた。それを記念して、先日の高円寺原発反対デモにおけるヒデジロウぶちあげガン踊り動画を期間限定で公開!この背中を見てすくすくと育つことを祈る。

2011年4月11日月曜日

高円寺原発反対デモ_02

デモから丸一日経ちましたが、未だ興奮冷めあらぬ状態。多くの動画がYou Tubeなどにアップされてるのでそれを見てみたり、寺内と重要なポイントを振り返ってみたり。

ネット上には賛同の声と同じくらい、いいえもしかしたらそれよりも多くの批判の声があがっている模様。
・近隣住民が大迷惑。
・選挙に行ってからやれ。
・ただの馬鹿騒ぎと勘違いしてるクソバカばかり。
・原発に替わるエネルギーを考えろ。
・主催者がいつも高円寺で大騒ぎしてて迷惑。

主催者の日頃の活動がどんなものかも知っていたし、それに対してなんだかな〜とも思っていました。そして上記のご批判ごもっともだと思います。少なくともわたくしを含めた我々のグループは「ただの馬鹿騒ぎと勘違いしてるクソバカばかり。」であり、デモなのかレイブのなのかよくわからぬ混沌状態にあったと思います。ご批判は深く考えねばなりません。しかしながら、それをすべて踏まえたうえでも行ってよかったと思っております。

生まれ育った街で(正確には隣町)、老若男女問わずあれだけ多くの人が集まり、強烈なエネルギーが渦巻いたことに素直に感動し、近年まれに見る高揚感に包まれました。きっかけは何でもよいと思うのです。普段、寺内の言う事についてはまったく聞く耳を持ちませんが、「なんだかすげー感動するわ。」 という言葉は18年ぶりくらいに同意しました。

重要なポイントを覚え書き
・ヒデジロウの踊りの安定感(踊ることで反原発を訴えていた。)
・国森が勝手にクーラボックスのお酒を他人に売っていた。(割増し料金で。)
・Gacktに似てる女性がいた。
・渋滞中の車内から、気がふれてる男性(推定40歳前後)から中指を立てられながら暴言を吐かれた。(なぜかヌキ蔵にむかって。さらに車の運転はおそらく彼のお母さん。)
・ムキムキテラちゃんから「寺内爪楊枝」に改名した。


クソバカで低脳なことは以前より自負しておりますが、河口湖でお世話になったコバヤシくんがシステムを提供していたり、野外パーティーで何度もDJ活動をさせてくれた音出しクルーのまっちゃんがトラックを運転していたり、デモの終わりに15年前の紅白歌合戦でヒデジロウがバックダンサーを務めた(これもただの馬鹿騒ぎであった。)h jungle with tのwoh war tonightがかかったりして、なんだか勝手に色々のことが繋がった気がしてしまった。

長くなりましたが、昨日のデモがこの国を変えるきっかけになることを本気で信じたいのです。以上

狂乱の五日市街道。

歩道橋にこんだけ人がいるのは、大乃国の優勝パレード以来では。

デモを終えた男の肖像。

あごヒモを引っ張ってやろうかと思うよ。

コバヤシステムを応援。

2011年4月10日日曜日

4/10高円寺原発反対デモ

原発反対デモに行ってまいりました。結論から申し上げまして、この時代を生きるものとして、本当に行ってよかったと思いました。

このデモに行ったところで、原発が廃止になるかもわからなければ、何年かかるかもわかりまへん。しかし!とにかく行動をおこしたことに意義があるかと。

嫁の実家は山口県光市。上関原発から半径20キロ圏内、瀬戸内海の美しい風景をなくしてはいけない!
このデモでお前の給料があがることはないだろう。

デモの見本。ムキムキテラちゃん改め、爪楊枝寺内。

手前はスチャダラのBOSE様!単独で参加!まじかっこいい!

沖縄ガール。

反原発の小さな男。

嫁の勢いにびびった。



この人達に出会えてよかった。(特に真ん中の人。)

2011年4月6日水曜日

3/11

皆様ご存知の通り、地震のあった3/11は午前中に区役所に婚姻届けを提出し、その足で伊豆高原の全部屋露天風呂付きの高級温泉宿に行っておりました。東名高速〜小田原厚木道路〜国道136号をひた走り城ヶ崎海岸まであと3キロというところで、j-wave(81.3)で地震の一報を知りました。東京で震度5ってほんまかーい!と思いましたが2回目の地震が来たときは猫がものすごい勢いで走って逃げていったのでこれはただごとではないぞと。

ひとまず家族と友人(寺内を除く)の安否が確認できたので、6回くらい温泉に入りましたわ。

これから毎年3/11は結婚記念日と東北地方太平洋沖地震があった日と菅原の誕生日がいっしょに来るからてんやわんや。
早朝の貸し切り露天風呂。大好きな大島が見えたぜ。

竹やぶ。

部屋に付属の露天風呂。

念願の大室山。地震が気になって表情が複雑。





通常営業に戻します

ご無沙汰しております。

地震があった日からもうすぐ1ヶ月が経とうとしております。震災後は、余震と放射能と国森の屁に怯え、毎朝4:00に目が覚める老人のような日々を送っておりました。

 ここ数日は何をやっても不謹慎とか言われてむかついていたが、よく考えたらわたしの存在自体が不謹慎なので、普通にやっていきます。

とにかく被災地の一日も早い復興と、原発事故が1秒でも早く収束することを毎日うちの和室の巨大な製作物(何かは内緒。余震のたびにゆらゆらして危険な物体。)にむかってお祈りしております。

2011年3月12日土曜日

無事です。

世界中でどれだけの人がこのブログを見ているかわかりませんが、いちおう大貫と菅原は無事です。

2011年3月6日日曜日

本日の作業

本日はアトリエを工務店の作業場から浜田山アネックスに移しての作業でした。会社から支給された現場に行くときに着ていくぺらぺらのシャツを着用し、のうきくんをかぶってみたら、思いの外ギャングスタスタイルになったのでけっこう気に入った。本日で作業はほぼ終了いたしました。でもまだ見せられないんだな〜。


2011年2月27日日曜日

また新車を買ったぜ

BMWとロードスターだけじゃ、キャンプや旅などに行けないから、フォルクスワーゲンのヴァナゴンのWest faliaじゃい。冷蔵庫もついてるから、シャンパン冷やしてみんなで出かけようぜ。

作業

家の父と工務店の作業場で早朝より作業しました。予想を遥かに越えたハードな作業で、フラフラになりました。また、午前中はマスクを装着し忘れたために大量の粉を吸い込み気管を完全にもってかれました。作業の内容については後日公開いたします。
何ができるでしょう〜?

大量の粉を身にまとったために、まさかの庭でお昼ご飯。

2011年2月20日日曜日

IZO=MORI

幻の焼酎が山口県より送られてまいりました。
そうです、森ゾーイーさんです!

なかなか入手できないようなので、一日ワンフィンガーを上限と定め、大切に呑みたいと思います。
専用キャリングケースに入れられて。

IZO=MORI feat.のうきくん。
ラベル近影。