2011年5月18日水曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_day4

昨晩は夕方ホテルに戻り、7:15にゆいレールの県庁前で待ち合わせ、おもろまちまで行って、アベさんのお友達に教えてもらった老舗沖縄料理屋「うりずん」にて沖縄伝統のごちそうをいただきました。途中虫さんのお子様の具合が微妙になったため、アベさんとおもろまちの沖縄料理屋で二人きりになるという危険な状況に陥りましたが、お互い人見知りなりに頑張ってなんとか乗り切りました。そして、次の日の午後に変態巨乳ちゃんとカリスマ主婦はそれぞれ、熊本と東京へと帰ってゆくのでした。素敵なガイドをどうもありがとう!

2011年5月15日日曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_day3

沖縄上陸2日目にして早くも虫さんが来航して、にわかに盛り上がりを見せ始めたなんくるない千代の沖縄傷心旅行ですが、皆様の予想通りあの爆弾(パイオツが)までやって来てしまったのでっす!そうですアベさんでっす!

2011年5月11日水曜日

5.7 渋谷原発やめろデモ

5.7渋谷原発やめろデモに行ってまいりました。4.10高円寺に続いて2回目の参加でした。この日は敬愛するDJ HARVEYが出演するFreaks music festivalと同日でしたが、迷わずチケットを転売してデモへの参加を決定いたしました。理由は色々とありまして、もちろん原発には大反対なのれすが、やはりコバヤシステム+音出しクルーがシステム提供となれば行かない訳には行かないと!(寺内は提案書作成のため欠席。)

メンバーはかつてない布陣で、わたくし+ブッチ+佐藤ゴウくんの嫁の玲子+DJ PONY(5/3のイベントで交流を深めた、山梨県甲府市出身現在桜台在住の29歳男性)というものでした。ちなみに国森はこの日のために購入したGORE-TEXの高級な雨具に身を包み、スポーツ選手が着用するCW-Xという高額なタイツをはいて「NO NUKES」と書かれた自作プラカードを裸のまま持って電車に乗ってやってまいりました。ある意味では原発よりもはるかに危険です。

開催地が渋谷ということもあり、いたるところに警察官が並び、警察車両も大量に出動しており、さらに私服警官みたいなひともそこら中にいて、高円寺のデモは若干雰囲気が違いましたね。

小雨がぱらついておりましたが、デモが始まればそんなもんは関係ござーせん。今回も、クーラーボックスにビールなどを大量に仕込み、渋谷から原宿を練り歩きました。音出しクルーのDJ SacariさんもR246で爆音を鳴り響かせておりました。

終了後は阿佐ヶ谷の焼き鳥ショップ鳥Qにて、国森たっての希望で3人で反省会を開催しました。デモに参加をすることはいろいろなことを考えさせられます。不安や怒りや悲しみ、様々な感情が渦巻きながらもやはり最終的な結論は「やっぱり原発ダメ絶対。」なのでした。

次も行くです。
音出しクルーのコミネくん。

DJ PONY。お願いしてないのに勝手にヘルメットかぶってた。

渋谷区役所前。

雨が嫌で、軽く欠席しようとしてた人。

この出で立ちで西武新宿線に乗って登場。

表参道とR246の交差点。

ゾノ。

音響機器を調整するコバヤシステム。

2011年5月10日火曜日

大井ひとしのデジカメケース

34歳独身、大手玩具メーカー勤務。好きなブランドはバーバリー。趣味はスポーツ観戦。よく似ていると言われる人は、千の風もしくはIKKO。そんな過激な男、大井ひとしのデジカメケースはずばりこれだー!
クマちゃん。

2011年5月9日月曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_day2

二日目の朝は7:00に目が覚めました。旅先ではたいてい夜中に目が覚めてしまうものですが、ぐったりしていたのでよく眠れたようです。

8:00になったので勇気を振り絞って、2階のラウンジスペースに顔を出してみたところあんまー(宿のお母さん)が心温かく迎え入れてくれました。そしてインスタントのコーヒーを自分で淹れて、沖縄に来るのが初めてであることや、旅の行程などについて1時間半ほどお話をしました。 おかげで出発が遅れたぜ。

この日は沖縄県立博物館・美術館へ行きました。博物館で沖縄の歴史を少しでも研究しようと思ったのです。本当のところは、沖縄顔の菅原の謎を調べてみたかったのです。博物館はなかなかのボリュームで、歴史や自然について体系的に学ぶことができました。そして、港川人というのが沖縄顔のルーツなのではないかというところまで突き止めました。

お昼になったので、コバルト荘まで戻り、近くのだるま食堂でお昼ご飯を食べました。みそ汁定食を頼んだところ、巨大などんぶりに超具沢山なお味噌汁が大量に入ってました。お腹いっっぱい、でも500円。沖縄はご飯の値段が安いのですけど、量がすんごいの!

そしていよいよ約束の時間となりましたので、レンタカー(HONDAのFit)で那覇空港へと向かいました。鹿児島から爆弾が到着するのです、森(旧姓小島)アンナa.k.a虫さん愛娘を引き連れて登場です! わたくしが那覇に到着した際に、ふざけて「那覇来ちまえよ。」などと言ったところ本当に来たから焦りました。なんでこんなことになってしまったのだろうか。

虫さんを 後部座席、愛娘をベイビーシートに乗せて、ホテルロコアナハにチェックインして、その足で虫さんおすすめの浜辺の茶屋へと向かいました。さすがに東京中のカフェを知り尽くした虫さん、浜辺の茶屋はまさに砂浜に面した、comfortableなカフェでした。カフェにいるあいだわたしは心の中で「なんでこいつと沖縄のカフェでコーヒー飲んでるんだろう?」と呪文のように唱えていました。

日も暮れてきましたので那覇へと戻り、国際通りの適当な沖縄料理店で適当な沖縄料理をいただいて、早々にお互いの宿へと戻ってゆきました。

しかし、本当の爆弾はこの次の日にやって来るのでした。

つづく

沖縄県立博物館・美術館。沖縄県産の石灰岩を多用。




だるま食堂のみそ汁定食。

浜辺の茶屋。


浜辺の茶屋から見える風景。木製建具がええ感じ。






本当に来てしまった虫さん。勢いがはんぱない。

2011年5月1日日曜日

沖縄熱狂のパーティーレポート_day1

出発の朝、5:00に父が浜田山まで迎えに来てくれた。永福町から高速道路に乗り、羽田空港を目指しました。高速道路はがらがらに空いていましたが、まさかの父の超安全運転のため、到着が6:00ちょうどになってしまいました。飛行機は20分後に出発やないけーい!

SKY511便は40分遅れで羽田を出発し、10:30に那覇へ到着いたしました。初めての沖縄、しかも独り、さらに暑いので、僕はなんだか不安でした。しかしそこは持ち前の明るさでカバーして、ゆいレール(那覇市内を駆け巡るモノレール)で那覇空港から県庁前まで行きまして、宿泊先の創業40年の老舗民宿コバルト荘へと向かいました。

コバルト荘は静かな住宅街のなかに可愛らしく佇んでおり、ご夫妻が暖かく迎えて下さりました。そして、独り旅のわたしに宛てがわれた部屋はなぜか2DKでしたので、余計に寂しさが募りました。

ひと休みしてから、宿のあんまー(お母さん)と相談して、モノレールで首里城へと向かいました。ちなみにこの旅の行程は半分くらいあんまーに決めてもらいました。

首里城についてほとんど予習なしでやって参りましたが、沖縄って元々は独立した王国だったわけでして、ここに国王が住んでいたのだなと考えた瞬間にドキドキしてきて、僕の心は微妙に沖縄の虜に。首里城では、その建築様式を中心に観察をし、沖縄の伝統的な素材や工法について考えました。

首里城の後は、国王の墓であります玉陵(たまうどぅん)へ行きました。こちらは歴代の王様が葬られているお墓ですが、その大きさに圧倒されました。玉陵にはほとんど人がおらず、一人きりで佇んで青空を見ていたらなんだかエジプトに行ったときを思いだしてしまいました。どこの地域も王様のお墓に懸けるエネルギーは凄まじく、その永劫性には軽い目眩を覚えます。宿に帰ってタコスを食べながらそのようなことを考えながら沖縄初日の夜は更けてゆくのでした。まあオリオンビールは飲むよね。

そして翌日から、にわかにこの旅が熱狂の渦へと巻き込まれてゆくのです。

つづく
コバルト荘301号室、ここがおれの拠点じゃい。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

首里城、正殿。

国王が座っていた椅子。ハーマン=ミラー。

玉陵(たまうどぅん)

守礼門。お札に印刷されてるよ。

オリオンビール。

玉陵(たまうどぅん)
沖縄へご旅行の際はぜひコバルト荘へ。
ラブホテルにインするように首里城へと入ってゆく二人。

首里城スタンプラリー。